特別寄稿

家庭菜園を愉しむ

平川雅弘さん
西区在住・昭和20年生まれ。
無農薬の野菜作りを実践している。

2012 春号掲載

 とても大事な堆肥作り。有機の材料は、乗馬クラブから運ぶ馬糞、公園の落ち葉、家庭の生ごみにEMぼかしを振りかけ発酵させたもの、庭の剪定葉、発酵促進剤として米糠などを使う。軽トラで一年間に100回、20トン程を運び、畑の隅に積み上げ水をたっぷり含ませる。体積を増やすことで熱分解を助ける。3種の微生物が順々に働きセロース、細胞膜及び有機物を分解、無機物へ変えて行く。その温度は60度にもなり、冬には湯気が立つ。多様な微生物が存在する土が、畑に良いと言われる。人間社会の多様な個性の存在が良いのと似ている。これらの肥料を使うと野菜はゆっくり育ち、味が濃く、野菜の個性が出てくる。温室育ちでは、決して味わえない。化成肥料と有機肥料の違い…トマト、玉ねぎですら甘み、辛み、酸味などのバランスの違いが、はっきり出る。野菜の若芽は、成長点故に多くのポリフェノールを含む。山菜が苦いのは、たくさんのポリフェノールを含むからだと。ところでこの頃、一代交配という種が出回っている。これから種を採っても、発芽しない。劣勢の遺伝子交配をするからだと。そんな野菜を摂っても良いとは思えない。種子メーカーの企みとしか思えない。毎年、自家製の種を15種ほど採り、次の年に使っている。無駄を省き、健康的な生活には、いろんな勉強をしなければならない。自然と農業…自分の意志では御しきれない世界であり、怒りや憎悪は起きえない。恵みに感謝するだけかと。ある種の修行に似ていると思う。

2012 冬号掲載

 家庭菜園を始めて15年、一畝からスタート、今では借り足して200坪程。全くの素人からのスタートだった。当初、栄養不良の野菜しか収穫出来ずにこれではまずい?と図書館で農業の本を借りて本格的に勉強、美味しい野菜を作るノウハウを見つけていった次第。元田んぼの畑は水の設備は完備されていたが、土は粘土質で硬く野菜作りには不適で生の馬糞を直接投入し、土へ漉き込み1年ほど寝かせた。ミミズや微生物が、ふかふかの土へ変えてくれる。美味しい野菜作りは、土作りで決まる。農法は完全有機、無農薬。年間30種類程の野菜を作る。畝作り及び施肥は春先と秋口に行い、雑草取り、マルチ剥がし、施肥、耕しや畝作りできつい労働は、堆肥材料(主に馬糞など)を集積、施肥で数トンを人力で畑へ運び入れること。また、夏場の毎日の水やりは辛いが、収穫及び美味しい野菜の恵みは、何とも言えない至福のひととき。小さな種が発芽して双葉を出し、みるみるうちに大きく成長、美味しい野菜へ変身する様は神秘的である。有機野菜の特長は、堆肥の窒素及び有機石灰がゆっくり野菜に吸収されるのでアミノ成分、ミネラル、糖分及びビタミンが豊富、細胞が小さいので歯ごたえが良い。野菜の味が濃く、個性がはっきりしていること。窒素・リン酸・カリの三元素の化成肥料を使うと早く大きくなるが、肥料分の亜硝酸が苦みとして残り、酸味と甘味のバランスが悪い。食べ比べすれば、味の違いが良く判る。

2012 冬号掲載

詩人・福永祥子さんの、詩書作品をご紹介します。自作詩のフレーズを書で表現しました。

神戸大好き 詩人・岡本真穂のひとりごと

岡本真穂さん 中央区在住
関西詩人協会 同人 神戸芸術文化会議
著書「御影」「神戸はしけの女」、詩集「花野」「神戸蝉しぐれ」他

2011 秋号掲載

 朝夕めっきり涼しく、季節は移ろいでいます。3月11日からもう6ヵ月も過ぎたのです。私たちは震度3や4と聞いてもさほど驚かなくなっています。それぐらい日本列島いたる所で地震が起こっています。自然に対して人間は弱いものだと、日々気づかされているのです。でも、生あるもの、それを維持しなくてはなりません。地底で起こる事を少しは理解しながら、それでもなお、前を向いて生きています。人間は、ある時は自然と共生しながら、またある時は自然に淘汰されながら、地球の歴史が変わっていくのかもしれません。  そんな時、小さなエピソードを記するのはバカげているかもしれませんが、書かなくてはあまりにも世捨て人になるので書きましょう。久しぶりにJR大阪駅に降り立ちました。いつもタクシーで本町に行くので、新しく改装された駅のインフォメーションでタクシー乗り場を尋ねました。教えられた通り、通路をまっすぐ歩いてエスカレーターで下り、長々とした歩道を突き当たり、さらに1階へ。確かに乗り場があり、10分ほど待つとタクシーが来ました。「ハイブリットカーです」運転手は自慢げに言いました。そして、見慣れない風景を通り目的地に着くと、メーターはかなり上がっていました。大阪駅では「昔からあるタクシー乗り場はどこ?」と聞いてください。案内の女性が「乗り場はふたつあります」と、ひとこと言ってくれたら大阪駅が嫌いにならなかったのに…と、生きている人間・私は思っています。

2011 秋号掲載
和田耕一さん 中央区在住。
昭和17年生まれ。洋画家。

神戸から…。

本誌2010年夏号の表紙を飾った和田耕一さんから、東北地方太平洋沖大地震の支援を呼びかける絵と文が届きました。和田さんは、作家仲間を募り、プロ・アマ問わずどの作品も一万円で展示即売する「第1回チャリティ一万円展」を9月に開催。第2、第3、第4…と長期にわたる活動を計画しています。

2011 夏号掲載

この頃の私は、テレビを見る回数が少なくなり、ラジオを聞くことの方が多くなった。NHKしか周波数を合わせていないのも私のこだわりである。文学、音楽、時事評論まで、なんと充実した豊かな内容か。テレビは「どうしてもチェックして見なければ」と思える番組が少ない。その中にあって、金曜夜10時からのNHK「世界ふれあい街歩き」という番組が、何ともいえない後味のよい残像を残してくれた。絶景アルプスが見える街・アヌシーを紹介した内容であった。北野に居を移して神戸一番の街と自負していた私が、北野坂の花壇に失望している。なぜ花壇の中に鉢をわざわざ置くのか?真ん中に木を植えるのは何のため?花の種類はこんなにあるのよ!といわんばかりの何種類もの花々。番組で見たフランスの水辺の街・アヌシーの白い花とグリーンのコラボ、時々見せる赤い花の美しさ…その国のセンスがうかがえる。また、インフォラータにもがっかりしている。この素晴らしい花のイベントが地域の人たちの努力でやっと知名度が上がってきたのに、どういうわけか鯉のぼりがだらしなく垂れ下がって、花の美しさを遮っている。せめて、鯉川筋か住吉川に泳がせたら、鯉も喜ぶだろうに。神戸の花壇や花のイベントは、海外に比べ何十年も遅れている。それとも、任されている人の勉強不足か。おしゃれな街・神戸、もう少しがんばりませんか?

2011 春号掲載

なぜか、私、岡本真穂に書く機会をいただく事になり、うれしいの一言です。東京の人に言われた一言から、10年続いている阪急三宮駅前の掃除のことを書きましょう。サッカーワールドカップが韓国であった年、東京の男性が早朝神戸に着き、「汚いね神戸は。韓国はきれいよ」。その言葉に、「月刊 神戸っ子」の当時の編集長、小泉美喜子に電話して、3日後の日曜日朝7時に掃除をすることを始めました。初回は10人ぐらいが参加して、一瞬ではあるけれど、美しい三宮駅山側広場が実現しました。宮沢賢治の言葉よろしく「雨ニモ負ケズ」休むことなく今も続いています。参加者は4人だったり、5人だったり。休まないのは小泉と私。始めたら止めない、なんとねばり強いことでしょう。掃除の帰りは北野の不動尊のお参り、少し下って一宮神社にて美味しいお茶とお菓子をいただく至福の時間。帰り道、いつも困らせる会話のことは、またの機会にて。