2015年 冬号掲載
大一建設工業株式会社 代表取締役
大森 茂樹さん
意外と広いですよ。
いい顔しているでしょ?
部品が無くなるまで乗りつづけたいです。
今回のお宝は、男として生まれたならば一度は憧れる車。車好きのお父さんの影響で子どもの頃から大森さんも車が大好き。小学生の時には大阪で行われた現在のモーターショーのようなイベントに、弁当持参で通ったほど。その時の車のカタログやチラシも宝物のひとつだそうですが、見せていただいたのはローバー・ミニクーパー1993年式のとても可愛い車。学生時代に買ったフォルクスワーゲンから始まり、BMWなどの有名外車を乗り継いで、現在はお父さんの形見のベンツと、昔から憧れがあったミニクーパーを所有。「ポートアイランドで行われた展示会で見つけて、買ってくれ~という顔をしていたので、一万円を手付で渡して買いました(笑)」 今も大事に乗られていて本体の価格よりも、すでにメンテナンスや修理の金額が越えてしまったと苦笑いされていました。車の話を始めたら止まらない大森さん。男のロマンであるお宝のミニクーパー、草葉が確かに拝見いたしました!
2014年 秋号掲載
これは本当に我が子ですよー
月に一度はおさむさんと
細部にもこだわりが
ケンケンこと田中券吉さんはプロのベーシスト。御両親の出身である奄美大島で生まれ、三歳で兵庫県に引っ越して来られました。十四歳の頃に知り合った音楽好きの消防署員からジャズの話を聞いているうちに興味を持ち、レコードを聴かせてもらったのが音楽との出会い。「MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)が最高でしたねー。電気を使わないアコーステックの魅力に惚れました。ビートルには行かずにジャズ一筋です。そこからウッドベースを始めました。ただ習うのは高くて、ライブハウスで知り合ったプロミュージシャンのボウヤ(手伝い)をしながら、舞台袖でじっと技術を見て盗みました(笑)デビューは二十歳の時に京都のライブハウスです」 今回見せていただいたお宝は、そんなケンケンさんが手作りで製作したサイレントウッドベース。
材料選びから始まり、音の調律など全て御自身で。「ベースは自分で弾いているけど、どこまで僕が作れるか試しに作ってみました。大阪の工房で作りましたが、約二カ月かかりましたね。紅葉、黒檀という固い木材を使っているのが大変でしたねー。形もオリジナルですし、音も感動的な良さです。もう我が子のように可愛いです」 漫才師のぼんちおさむ師匠のバンドメンバーでもあり、国内外のアーチストから招集されることも多いというケンケンさん。
お宝、草葉が確かに拝見してきました!
ライブ情報♪ 「ジャズ&トーク」
ぼんちおさむ(Vo)、みちよ(P)、ミチヤス(Ds)、ケンケン(B)
日時:10月21日(火)19:30~22:30
会場:JAZZ LIVE PUB ニューサントリー5
大阪市北区曽根崎2-10-15 曽根崎センタービル5階
TEL:06-6312-8912
2014年 夏号掲載
コツコツ貯めて買いました
トンキンブラックは助かりました
トンキンルビーはソーサーだけに
今も店の看板娘だそうです
元町で紳士服の洋装店を営んでいた御主人の手伝いをしていた加津子さんが、店の二階で喫茶店を始めたのが1978年。安売りの洋服店が台頭し始め、元町のステータスでもあったオーダーメイドの高級紳士服を扱う御主人の店は、もろに影響を受けました。「いつまでワシのすねをかじるつもりや」と言われ、何かしないといけないと考えたそうです。加津子さんの父親が貿易商をしていたため、子どもの頃から馴染みのあった珈琲の店をオープン。「私は珈琲が好きでね、主人はうどんでしたけど(笑)」。店内には所狭しと珈琲カップが並べられ、今や「はた珈琲店」の名物にもなっています。「これが私の宝物!」と出していただいたのが、ガラスケースに入ったカップ&ソーサー。そして、もう一つはカップがなく皿だけの額。「ウェッジウッドのトンキンルビーとトンキンブラック」。ウェッジウッドの中でも豪華な金彩絵柄で知られる最高級のシリーズです。「阪神・淡路大震災の時に店に飾ってあって、これは助かったトンキンブラック。カップは割れて皿だけ助かったトンキンルビー。なんでこれが大事かというと、まだ店も流行ってない時期に、コツコツとお金をためて買った思い出の品です。高かったので大事にしていました」。現在は使うことなく百貨店で額装してもらい、店に飾ることもあるそうです。水害・戦争・震災をくぐり抜けて、お店を立ち上げ、神戸の有名店にしたのは、加津子さんの珈琲と器に対する愛情がカタチになったからだと感じました。思い出の珈琲カップ、草葉が確かに拝見してきました!
2014年 春号掲載
この口の中が怖いんですわ(笑)
上品なお内裏様とお雛様
さすが舞台人。姿勢が素晴らしい花柳さん
第一回目は日本舞踊家・花柳芳一さん所有の、お雛様を拝見してきました。花柳さんは昭和8年に兵庫区は福原のど真ん中のお茶屋に生まれ、お母様は関西で有名な日本舞踊家だった故・花柳呂月さん。「このお雛さんは私の初節句に買ってもらったもので、生まれてからずっと一緒です。毎年旧暦の節句に出していますが、戦争の頃に一度だけ出さなかったら膝の半月板が割れてね、おばぁさんから毎年出さなあきまへんで!と怒られました」と、笑いながら見せていただいたお雛様は、当時としては高価だったと感じる上品な作りで、手に持つと驚くほど軽い。「もうね、これを出してくるのが毎年大変なんです。それにこのお雛さんの口見てください。気色悪いでしょ(笑)」今はマンション住まいのため、大きな木箱を押し入れから出してくるのが大仕事だそうで、「私も八十歳になって出すのが大変なんです。いつも誰かに手伝ってもらってねーでも今年が最後なんですよ」聞けば今年を最後に、このお雛様は譲ることにしたそう。行先は、花柳さんが踊りを教えに行っていた明舞幼稚園。「手放すと言っても幼稚園なら毎年飾ってもらって子どもたちに喜んでもらえるし、それにまた見に行けますね」と尋ねると、嬉しそうに「そうやね」と答えてくれました。「昔は八畳の間に、母親と私と叔母さんのお雛さんを一緒に飾って、それは賑やかでしたよ」と、当時を思い出されていました。八十年の思い出の詰まったお雛様。草葉が確かに拝見してきました!
昭和38年 神戸市生まれ
作家 エッセイスト 日本ペンクラブ所属 阪南大学講師
宝塚歌劇史研究家としての著書やテレビ出演も多い。