灘区・昭和8年生まれ
「好奇心が強く、何事も突き詰めないと気が済まない性格」は大正時代にヘリコプター開発に執念を燃やした父親譲りだ。高校生の時には国産初のプラネタリウムを自作。化学会社勤務時代は46件の特許の取得にもかかわった。定年後、大阪電気通信大学で、設計図などを描くための理論である図学の博士号を取得し、81歳になる今なお毎年のように論文を発表し続ける。その傍ら、日本スペースガード協会の関西支部長として、地球に衝突するおそれのある小惑星をいち早く探査する職務も担う。クラシック音楽、古代ローマ帝国、象形文字、模型、パノラマ写真、スキー、アーチェリー…。「僕のことを知ってもらうにはまだまだ時間が足りないなあ」。