かしの 8月10日に映画「少年H」(原作、妹尾河童さん)が公開されますが、原作でお二人は同級生役として登場されたそうですね。
林 妹尾さんと私は小学校(長楽小学校)中学校(旧制神戸二中、現兵庫高)と一緒で、小倉さんは中学校が一緒です。私は市内の小学校の相撲大会で優勝したので「横綱の林君」。小倉さんは「心優しき小倉君」として登場しています。妹尾さんは当時から反骨心旺盛で自分の考えにまっすぐだったから、教師にも平気でぶつかっていきました。
かしの 映画を試写会でご覧になって、どうお感じになられましたか。
小倉 小説の原作の段階からデータを提供したり、事実関係が間違っていないかどうかチェックを手伝っていました。原作をベースにして観るから、原作と映画の違いに目が行きます。原作は少年Hの学校生活を中心に描いていますが、映画では少年Hの家族を中心に、戦争に対する大人たちの大変な苦労が神戸の情景とともによく描かれていると感じました。
林 妹尾さんは阪神・淡路大震災の前から原作を書いていました。震災で神戸はがれきの街になりましたが、かつて神戸が空襲の被害から不死鳥のように立ち上がった時のごとく、必ずや復興できるというエールの気持ちを込めて小説を書き上げました。
神戸市長田区生まれ。旧制神戸二中(現在兵庫高)を経て神戸大学経営学部を卒業。兵庫県庁に入庁後、生活文化部長、理事。財団法人兵庫県文化協会理事長を務めた。
かしの お二人にとっての神戸大空襲は。
小倉 昭和20年3月17日と6月5日の2回の空襲で神戸の市街地はほとんど丸焼けになりました。隣に住む3姉妹が焼夷弾の直撃を受けました。家の周りが火に囲まれてほっぺたが熱くなって。警防団の人が「次はこのあたりを狙ってくるぞ」と。B29がすぐ真上まで迫ってものすごく大きく見えました。おやじがうろうろ逃げ場を探している姿を見ていたら、自分も死ぬんかなと思いましたね。烏原貯水池のダムを破壊するという噂が立ち、その上まで必死に逃げました。
林 空襲警報が鳴ったらとにかく山へ逃げろということだったので、日本刀を腰に差して、おふくろの手を引いて、西代まで逃げました。上から街が焼けるのを見ているしかしょうがなかったですね。
かしの 戦争が終わってからもご苦労は絶えなかったのでは。
林 食べざかりやったから食糧難はこたえました。戦時中は白米の配給はゼロになって油を絞った豆かすが主食でした。戦後も、外地に赴いていた軍人や在外邦人が引き揚げてきたので食糧難はさらにひどくなりました。
小倉 昭和12年に支那事変が勃発してから、昭和20年に終戦を迎えるまでずっと戦争状態にありました。欧米人を見たら「異人さん」と呼んでいたのが、「外国人」になり、次は「毛唐」と呼べということになって、戦争による国情の変化も感じました。そして、ずっと軍国主義で育ってきたところへ戦後になるといきなり民主主義でしたから戸惑いは大きかったですね。
林 ほとんどが軍国少年だった時代ですから、負けるはずがないと思っていました。もうそれは悔しかったですよ。戦後、進駐軍の兵士が我が物顔で街を闊歩して女性を連れ歩いているのを見ると、復讐心が湧きあがってくるんです。成長とともに薄らぎましたけれど。
神戸市兵庫区生まれ。旧制神戸二中(現在兵庫高)を経て神戸大学経済学部卒業。小倉産業(現小倉サンダイン)に入社し、社長に就任。現在は同社相談役。
株式会社CAP代表取締役社長。板宿小、飛松中学、長田高校、神戸大学卒業。リクルートを経て、(株)IMJの代表取締役社長に就任し株式公開。2009年神戸市長選挙に立候補するも惜敗。現在、(株)OKwave取締役を務めながら神戸リメイクプロジェクト代表として神戸の活性化を推進中。また京都府など地方自治体の改革も手掛けている。著書に「無所属新人」「地域再生7つの視点」「おしい!広島県の作り方~広島県庁の戦略的広報とは何か?~」(カナリア書房)
かしの そこから立ち上がっていった。
林 玉音放送の後、中学校の先生が生徒を集めて「日本は必ず立ち直る。なぜかというと君たちがいるからや」と励ましてくれました。大変な時代でしたが、重たい鉛のような雲が途切れてやがて青い空が来ると思い込んでいました。昭和の初めから戦後の復興期、高度成長期、バブルの崩壊といった激動の時代をくぐりぬけてきたことを思えば、不自由なこと、怖いことは何もありません。
かしの ずっと神戸という街をご覧になってきて思うことは。
小倉 かつては街に多くの外国人が住んでいました。それによって海外からの情報が入り、商売にもつながりました。その国際性をもう一度取り戻してほしいなと思っています。
林 昔に比べて思いやりや感謝の心が薄れているように思います。今の時代だからこそ、映画「少年H」を多くの人に観てもらって家族愛・地域愛を感じてほしいですね。
映画「少年H」の情報はこちら 妹尾河童さん 「少年H」公開記念講演会の情報はこちら1945年の神戸大空襲、戦災が神戸の街を襲いました。事実として知っていても、それを体験した人の言葉のリアリティには圧倒されます。お二人は笑い話も交えて語ってくれましたが、地図を見てこんなにも広範囲に神戸は焼け野原になったのかと驚きました。また、いつ原爆が投下されるかわからないという不安感の中で生活をするなんて想像すら出来ません。そんな中を強く生きて来られた方々には脱帽するばかりです。また、学校の先生の話も印象に残りました。戦時中は勇ましく敵国に対して意見を言っていた先生が、敗戦が決まった途端に米国礼賛するような人もいれば、自分の非を認め、生徒に詫びてから個々の態度を変える人もいたそうです。子どもは意外と大人の言動を見ています。いや感じています。ぶれない態度や筋の通った行動をとらないと信用関係はもろくも崩れさるでしょう。子どもに大人の背中を見せる、それもカッコイイ背中を見せ続ける、そんな大人が多い神戸でありたいと思います。映画「少年H」、どんな仕上がりになっているのか、とても楽しみです。